きぼうのひかり

自分に与え続けるもの

何才からでも自分を好きになってゆく・ゆるんで・はぐくんで・ここちいい自分を 生きてくための色々

かんじるチカラ

 かんじるチカラ を 
もっと 養おうって思ってます

そう書くと、なんかすごいものみたいですが
サイキックとか スピリチュアルなこととは
すこし きりはなして 
まずは シンプルなふつーな感じのことです

たとえば 朝ごはん なんか こんなに要らないのに
習慣で 食べてるなぁってこと
しかも たいして 味わいもせず
ルーティンとして 身体に入れる感じだったり

朝は 忙しい

そう思い込んでいるので・・・(笑)

もう そこからが 勘違いというか
思い込みだなぁって 

ふと

からだに 聞いてみる・・・
大事ですよね

からだに 聞くとはまた少し違うかもですが

苦手なこと やりたくないことに対し

どうして? と 感じてみたり最近しています

すごく すごく 些細なことで・・・(笑)

私の場合 苦手 やりたくない の前に
もう自分の気が 落ち着いていないのでした・・・

そんな 落ち着きがない状態なら
できないし いやだって感じるかもね と

まず 落ち着くことからやってみまして
落ち着いた状態で
やってみたら

また 落ち着かない気持ちになりそうになり(笑)
べつに ざわつくことも そわそわすることも
必要ないでしょう

私 幼いころ ぼーーーっとしていたので
せかされることが多くて

心の準備も 身体の準備もできてないけど
やらなきゃ と あせる
でも そんな状態だから できない
で  あせる

苦手になる やりたくなくなる

こういう図式が 体と心に しみついていました

ただ そんなことが
今の自分に様々に 影響して
もったいないことに できないままにして
苦手 という 苦い気もちを 携えていました・・・

性格

そうされていたものすら 実は
小さなきっかけから できたものってこともあります

人間 思い込みやすいから

今年は そういうことに 感覚を向けて
ゆるめていきたいって 感じてます

それには かんじるチカラがいります
そのためには 落ち着くことが 大切(笑)

日日是好日という映画より

あけましておめでとうございます。

年末年始 飛行機に乗ったので

映画を4本みました。

今日はその中から、日日是好日より

お茶習っていたのは20歳から26歳くらいかな?
すっかり忘れていたことと
全然わかっていなかったことと
深い部分で
わかっていたことを 思い出しました。

映画で驚いたのは

お点前の時間中に
ふーーーっと 主人公が子供の頃の記憶に入って
その感情がうきあがって再体験をし
それが癒しになって 消えてゆくシーンとか

亡くなった父親が海にたたずんでいて
言いたかったことを 感情とともにぶつけて
想いが昇華してゆくシーン

あぁ 結局 道 という世界は
自分を感じて 自分に向き合い
自分自身が 育ってゆく そういうことで

頭で考えない 
あやつられるよう=無我で動くなど

興味深いシーンでした

それにしても 季節ごとに用意する掛け軸なり
お菓子なり 器なり

先生が あたりまえにしてくれたことの
豊かさに 時を経て はっとしましたし

お茶の世界に はいらなくても
この日常でこの姿勢を持っていけたらなと
しみじみ 感じた次第です

外国人の方で日本の文化に興味がある方は
とてもいい映画だと思いました。
そして、日本人でも全く受け付けない
退屈極まりない人も いるんだろうなぁ・・・

映画館までは行く気にならないけど
興味があった邦画を見るには
飛行機って ありがたいものです

今年の 色々については おいおい・・・

師走後半戦

悪い意味じゃなくて

自業自得は自業自得

自分でやったこと やらなかったことが
自分にかえってくるなら

こうなりたいという それを
叶えるように 業=動けばいい

2018わたしは なにを 自業自得したのか

いい意味でも  残念な意味でも

2019わたしは なにを 自業自得したいのか

感じながらすごすのが

師走後半戦というもの








 

自分を好きになること

甘っちょろいお題のようだけど

自分を好きになることは
人生で 重要なミッションだと思う

小難しく言うと 自己肯定感って やつです

自己肯定感が 低くなるのは
人によっては 本当に些細なことで起きる

「はぁ」って 親がため息をついたり
聞こえないほどの 舌打ちをしたくらいでも
絶望してしまう子供もいる

親の側からすると
たまったものでもないけど(笑)

私が 申し訳ないことに そういう体質で
けど 自己肯定感の高い 我が親は
子供が そんなめんどくさい体質とは 考えないので

ちょっと ぼーっとしてしまうだの
ちょっと できないことが多い

そう感じても ちいさいしねで
すませてくれて 

子供のほうも 少しは 図太くなりながら

その後 人生を生き抜くために
色々と 知恵を絞って ごまかして いや 経験積んで
いいこっぽい 優等生っぽいものになってしまうと

そんなことは 本人さえ忘れてしまう時期もある

けど、深い部分の自己肯定感の低さは
癒えてないし
なぜそうなったのかも
この世界では なかなか わからない

なので 自分でしりたくて どうにかしたくて
体や心を ゆるめて ときほぐしていく
セラピストって いっていいようなものに
なったのだと思う

自分へのミッションも 進んでる
バケツに空いた穴を 埋めないと 満たせない
その 穴を修復しないとってことに時間がかかってしまったけど

本当に良かった

時間がかかっても ね 


からだとあそぶ

ここ数年 
わたしは自分をゆるめるというミッションがあり
いろいろ 取り組んできましたが

ゆるめるだけだと とても やわなので
同時進行で 肉体をしっかりさせたりもしています

ゆるめるのは 意識や感覚ね

なんとなく 
生きてゆくことはできていましたが
運動はしないで車通勤座り仕事
体力があるかと言えば ないかも
でも こんなもん??と 思っていたら

ある日 横断歩道を渡ろうと
小走りした時に
びっくりしました
動かなさに・・・・・

そりぁ 50代半ばだけど
あまりに あんまりな動きにびっくり
小走りさえ ままならないなんて
驚きでした

いったいどのくらいの筋力か
スポーツジムに入会して調べたら
年齢より衰えてて・・・
それはそれは がっかりしたんです(笑)

それから 歩いたり ヨガで筋トレっぽいことしたり
随分いろいろして
また 小走りしてみましたが
思ってるようにはちっともなってなくて・・・・(笑)

そこから ちゃんと意識して
階段を上ったりしてみました

やっと 横断歩道程度の小走りができて
けど 実際の道でのジョギングは300mしかできない(笑)

更に 本当に必要な部位を意識して
負荷をかけてみて 筋力がないことが 
やっと わかってきました

少しできるたびに できていないことに
がっかりよりも 新鮮に発見的な気分

できるとまた 面白くて

よく 筋肉は裏切らないっていうけど・・・・
ホントに 正しく目的をもって やると

応えてくれるのねって 遊んでいます(笑)

肩こりな自分の体に耳を傾ける

人間の生活は 前向きに何かすることが多いけど
肩がこる・・・じゃない?
もれなくわたしもそうなのです
でも 肩がこらない人もいるわけですよ

で、自分の肩に触れながら
型が緩む場所に 頭蓋骨を持っていって
腕の付け根の位置をずらしてみました
首が傾いているだけで 負荷がかかるから
負荷がかからない場所を探してみたのです

それは いつもの自分の位置から
随分後ろでした
そして肩の位置もずっと後ろで下に引っ張り気味にして
まき肩をぐりんと開き
脇をしめる感じ・・・

するとおなかがそっくりかえらないように
服圧がかかりしたから上に内臓が持ち上がります
この時 横隔膜に力がはいってしまうので
ゆるめるのが難しい

なんということでしょう

肩が凝らないゆるむ姿勢は
まっすぐで
美しく
呼吸もしやすいのです

肩コリ治すと
美しくなる・・・と
思います(笑)

からだに心地よい状態を聞きながら
感じ続けるって

こころにも気持ちいいです(笑)

話題のゼロトレとかも
共通していますね



がんばっているとわからないこと

せんじつNHKあさイチ
女性の大人の発達障害についてやっていました
仕事があって 途中まででしたが

自分が空気読めないのを気にして
必死で空気を読もうとして
疲れてしまってて
いつのまにか 自分自身を見失い
自分がどうしていいのか どうしたいのか
誰かのためにとか
周りにとって どうあるべきかでは
ふるまえるのに

自分自身は どうしたいの?

いえべつに・・・

って なる そういう人はいます

結構昔の自分も そうでした

今やってる けものになれない私達 という
ドラマの主役の子は

生きてゆくために 嫌われないように
空気読んで いい人をやって
人にあたったり
爆発もできない

いいひと~ では 収まらない

人と共に生きようとして
がんばって
自分をなくすなんて・・・

がんばってしまうから
わからなくなるなんて

悲しすぎる

結構昔の私も いい人で何が悪いの?
本当にいい人だもん

そう思ってました(笑)

今も いい人だと思いますが
がんばってはない 

がんばらなくしてみて 気づいたのです

がんばっていては 気づけないことがあるって

おかげさまで 人づきあいは減ったけど
残った関係の内容は いい感じです(笑)